20101115

読み物が一区切りついたところで、お知らせです。

川口市メディアセブンの「ブラウジングトークセッション」シリーズに登壇させていただきます。
以下、詳細です。

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書棚の間を歩きながら気になった本を手に取り、それがきっかけで自分の関心が広がる―「ブラウジングトークセッション」が目指すのは、そんな、知識や興味に対する新しい出会いの機会です。今、話題の著者や研究者をお迎えし、著作や日頃の活動についてお話しいただきます。

ブラウジングトークセッション
平山 亜佐子|「忘れられた挿話《エピソード》を求めて」

【開催日】2010年11月25日(木)19:00 - 21:00

【会 場】メディアセブン ワークスタジオB
     〒332-0015 埼玉県川口市川口1丁目1番地1号 キュポ・ラ7階
     川口市立映像・情報センター「メディアセブン」
     048-227-7622

【申 込】以下のいずれかの方法でお申込ください
     ◎来館(メディアセブンカウンターにて申込) 
     ◎メール event@mediaseven.jpまで必要項目
     (開催日・氏名・ふりがな・年齢・〒・住所・電話番号)を記入の上送信。
     ◎往復はがき 往信欄に上記必要事項を記入の上、
      メディアセブンまで締切日必着で郵送。

【締 切】11月20日
     *応募者多数の場合は抽選となりますので、ご了承ください。

トークイベントの情報はメディアセブンtwitterアカウントでもお知らせしています。
http://twitter.com/media7_staff
イベント当日はUstream でのインターネット中継も行います。
http://www.ustream.tv/channel/mediaseven

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去年から今年にかけてトークイベントはいくつかやってきましたが、今回は『20世紀 破天荒セレブ』『明治 大正 昭和 不良少女伝』の二作をからめつつ、挿話(エピソード)に対する偏愛を語ろうと思います。
『不良少女伝』に入りきらなかった不良団の挿話や、今わたしが気になってる古今の人物の挿話など、虚実入り交じった挿話の魅力に浸る二時間。
ぜひ、遊びにきてください。

20101114

 歓喜が一通り過ぎると、さしあたって悩みのなくなった者が持つ御しがたい欲求にとらわれ始めた、すなわち俺は彼女にどのくらい大事にされるのだろうか、という。
 少し前に話題になった風呂にも入らないタイプには見えなかったものの、異様なまでに大量の荷物は何日も家に帰らずファーストフード店で朝まで過ごす生活をしているのかもしれん。
 それともこの辺りのラブホテルにでも入って男に見守られながら仕事をさせられる羽目になるのか。
 逡巡している間に、女の子の歩行からくる規則正しい揺れで、俺は少しずつ下へ下へと移動していき、テープカッターの手前で風雪にさらされ糊の面がすっかりバカになっていたセロファンテープが俺の重みに負けてあっさり剥がれ、俺は(こう言ってよければ)生まれたままの姿で雑多な荷物のなかに突進していった。
 グッチの「ラッシュ2」とダウニーの香りが混ざった淡いピンクのTシャツらしき布に図らずもくるまれた格好で、俺は夢見る雲の上の春一番の蝶といったふうに見さかいもなく陶然となったのだが、埃と湿気にまみれたまさに汚辱とでもいうべき環境に二年もいたことを思えば、俺を責める者はいないだろう。
 そのうち、ふと揺れが止まると、バッグが地面に下ろされ、右に左にかきまわされ始めた。
 どうやら彼女が道の真ん中で探し物を始めたらしい。
「ったく、なにやってんだよ、さっきおまえに渡しただろ」
 男の叱責は日常茶飯なのか、それには答えずバッグのなかの物をひとつずつ引っ張りだしては道路に置いている。
 俺の上にあったポーチ、俺の隣りにあったハンドタオル、俺の足にひっかかっていた紙袋が次々と姿を消し、俺はピンクのTシャツごと持ち上げられ歩道脇に下ろされたが、そのはずみで側溝まで転がっていき、歩道と車道の段差に落ちて止まった。
 その瞬間、側溝の鉄製のふたにひっかかったスウィッチがオンになり、俺は止める暇もあらばこそ、人目も憚らず例の巧緻な動きをやらかし始めたわけだ。
 そのうち、女の子は目的のものを探し出して、立ち去って行ったらしい。
 らしい、というのは車道側に向いていて彼らを見ることができなかったからで、びゅんびゅん走り去るタイヤがはじく小石を眺めながら、自らの回転を利用して態勢を変え、なんとかスイッチを止める手だてを見つけようと満身の力をこめて苦闘していた。

 それから二時間強。
 さしたる妙案も奇手も浮かばないまま俺は通りの片隅でただただ電池がなくなるのを待っている。
 意識が——遠のくなか、あの店にあった左方向に四度ほど傾いて掛かっている白っちゃけたピンクの掛け時計が打ち消しても打ち消してもやたらと思い浮かんできて、どうやらもう長くないことを感じている。
 不思議と、今は静かな気持ちだ。
 これが無声映画なら、俺の頭の上にしゃれた文字で「禍福はあざなえる縄のごとし」とかなんとか人生訓が出るところかもしれん。
 それもいいだろう。
 もちろん——もちろん、誰かが俺を見つけてあの店に持って行ってくれさえすれば、また——電池を入れ替えてもらって今まで通りB-3と仲良くやっていけるわけだが——ああっと——誰かが俺を持ち上げた——ぞ——願わくば——我を丁重に扱わんことを———なんだか—手が皺だらけ——なんだが——だ——れ——で——す———か?——

20101111

 しばらくあちこち見て歩くと、二人はおもむろに俺のいるガラスケースの前に立った。
 俺は、なんとか扉の隙間から女の子の香水を嗅ごうと思い切り深呼吸をして震えていた。
「すいません、いいっすか」
 男がB-3に声をかけると、テレビから目を上げた奴さんはしばしぽかんとして自分が何者でどこにいるかということすらも判然としていないようだったが、ややあって事態を把握し、のっそりと立ち上がって男に先導されるままにガラス棚の前にやって来た。
「この白いやつなんすけど」
 男の指はまごうかたなく俺を差している。
 恥ずかしながら打ち明けて言うと、このとき俺は永きにわたって鶴首して待った場面を前に、体にくっついている栗を持ったリスが小刻みに震えるのをどうにも禁じ得なかったのだが、幸い、棚の足がやたらと華奢なせいで全体がぐらぐら揺れて目立たなかったようだ。
 B-3は重そうな錠前に触れることなく扉を開け、俺を手に取ると、何を思ったかだしぬけに後ろのスイッチを入れて男に手渡した。
 とたんに俺は、愚直なまでの誠実さでもって今こそ自らの性能を誇示する瞬間だと奮い立ち、全体を回転させながら、先端部分のみをぐるんぐるんとくねらせ、無慈悲なピッチャーが投げる目に見えない連続暴投球を器用に避ける敏腕バッターよろしく右に左にとファジーに動いてみせた。
 それを見た女の子は失笑し(気に入った証拠だ)、カップルは目で会話すると
「じゃあこれください」
 と、俺をB-3に返した(このときも俺はまだ間断なく精力的な動きを見せていたことを付言しておく)。
「これ(と、ここで咳払い。今日一日ほとんど誰とも口をきいていないとなると当然だ)これ箱ないんで、このままでもいいですか」
「いいです」
 このとき、B-3がほとんど口をきかないのはこころもち甲高い地声のせいではないか、という考えがちらっと浮かんだこと、そしてそれすらも永遠の別れを前にした今ではすこぶる離れがたいもののように思われ、熱に浮かされた結婚式の主役が未婚の友達に感極まってつぶやく「幸せになるから、あなたも幸せになってね」のような、一種の宗教的衝動に駆られたことを告白しておく。
 一行は、B-3を先頭に意気軒昂な小さな鼓笛隊よろしくレジに前進すると、買い物につきまとうあれやこれやのやりとりを始めた。
 そして、ウサギの絵のついた袋に俺を直接入れ、折った口をセロファンテープで止めると、袋はB-3から男へ、男から女の子へ渡り、彼女は照れも手伝ってかシワになるほど強くつかんで、家出人もかくやと思われるほどに荷物で膨らんだショップ・バッグのなかに逆さまに突っ込んだ。
俺は体が宙に浮くよう気持ちと身のちぢむような思いになぶられるがままになっていたが、三人の手を通過する小旅行を終えて納まるべきところに納まると、二年も友情をはぐくんできたB-3とのあっけないほどの別れに一抹の寂しさが襲って来るのを避けようがなかった。
 体に気をつけろよ、村山と末永く仲良くな、いい加減本物の防犯カメラにしろよ、店のテントもそろそろ換えどきだぞ、と父性愛とでも名付けるしかないような気持ちにさらされた。
 だが、次の瞬間には袋に入る直前に盗み見た彼女の後れ毛が思い出されて、知らず笑みがこぼれてくる。

20101107

 おっと、カップルが外から窺っているぞ。
 さしもの俺も俄然、緊張する。
 カップルってのはバイブレーターに於ける上客で、俺の仲間のひとりを買っていったのもそうだった。
 あれは、蒲田に数件しかないホストクラブのなかでも絨毯のすり切れ具合といい、シャンパンコールの物悲しさといい、頭ひとつ抜きん出ているといわれる『クラブ 莉亜王』のナンバー四、豹魔とその太い客が同伴がてらに寄ったときだったっけ。
 あいつ去り際に、入荷して一ヶ月で売れたのは蒲田広しといえども自分くらいだと言ってさかんに尻を捲ってたけど、蒲田が広いか狭いかという議論を置くとしても、プロに買われるなんざうまくないってことはこの業界じゃ常識だ。
 身勝手に決めてかかるわけじゃあないが、ちょっと遊んだらすぐ飽きてもっと目新しくてもっと下品なやつにさっさと鞍替えされる確率が高いからな。
 今頃は、間違えて可燃ゴミの日に出された挙げ句、マンションの自治会長のオバハンに「不燃ゴミは火曜日です!!」と書かれた紙を背負った袋のなかで寂しい余生を送っているかもしれんて。
 ようし、よし、カップルが店内に入って来た。
 第一関門突破。
 二人とも二十代前半だろうか、店内の平均年齢を瞬時に下げた感がある。
 先に立った男は三サイズは大きいと思われるジーンズを、腰骨を通り越して腿の付け根辺りまでずり下げて着用しているが、動いてもずり落ちないのは万人に等しいはずの重力を、はてどう操ったものか。
 彼女の手前、場慣れた態度をとった方が頼もしくうつるのか、むしろとらない方が格好いいのかどちらとも決めかねたまま、しきりと左右に小刻みに揺れながら、何かを指差しては後ろの彼女にネジの一本抜けたような笑顔で話しかけている。
 彼女はと言えば、片手で丸まりそうな小さなキャミソールにショートパンツ、かかとの高いつっかけ様の靴を履いて、半ば男に身を隠すように小股に歩いている。
 肩からかけたメタリックの紙でできた巨大なショップバッグが男の話にうなずく度に揺れ、どうも落ち着かないらしく、B-3の横を通る際には、人間がいると思わなかったのか一瞬ぎょっとなってまたすぐ自制心を取り戻したようだった。

20101104

 さて、今日もそろそろ俺のとっておきの時間がやってきそうだ。
 俺の最終的な落ち着き場所、つまり、俺を保有する女の子に思いを馳せるささやかな時間のことだ。
 こういった点をことさらに強調するのが野暮なことは百も承知だが、しかし持ち前の謙虚さでもって口にしないでいると慧眼を持って任ずる読者とはいえ忘れられる憂き目に遭うとも限らんのであえて屋上屋を架すと、俺はちょっぴり性的好奇心の強い女の子に所有されるといういわば傑出した宿命を背負っており、その点に於いてはB-3ともここにいる輩とも根本的に違う。
 ある日突然女の子がやって来て俺を手に取ってレジに向かったら、その瞬間からB-3と俺は否応無しに筏を二つに分ち、それぞれの櫂を操って違う海を目指して旅立つことになるのだ。
 俺がいなくなった後、奴さんがふさぎこんでいる姿が目に浮かぶ。
 背中を丸めて赤いポータブルテレビを観ている…のはいつものこととしても、見る人が見れば(さしずめ村山あたりが見れば)意気消沈していることは歴然、憐憫の情に否応なく押し流され、かける言葉を失うだろう。
 だが、今そんなことを考えても始まらん。
 俺の未来の女の子の話に戻ろう。
 例えば俺は、その子が喫茶店でウェイトレスが何か運んで来ても全く無視し、向かいに座った男にバレンタインのお返しに会社の同僚からブランド物の財布をもらった話をするような子じゃなきゃいいがと思う。
 そんな風にして話しやめないのは、その話がひどくしたいからというよりも、ただウェイトレスごときに自分の話を邪魔だてされたくないというその一点に尽きるからで、そんな子は俺を手荒に扱った挙げ句にベッドの後ろに落っことして忘れたまま余生を過ごさせ、引っ越すときに発見して古い絨毯と一緒に捨てるに決まってるんだ。
 あと、そうだな、明らかに興味のない話題(例えば俺の足の人差し指の第一関節に最近できたタコの話など)を、あたかも国家転覆の謀略をこっそり耳打ちされたかのように目を見開いて聞き、大げさな相槌を打つ子も遠慮したいもんだ。
 何を考えているかわからん。
 それから、「さしすせそ」の発音がなぜか「sa si su se so」の女もいやだな。
 帰国子女であることをにおわせたいのか、平原綾香の聴き過ぎかしらんが、どうにも勘に障る。
 気にしないようにすればするほど気になって、終いにはさしすせそしか聞こえなくなる。
 そういう子は、感受性と同様、自分自身の手入れも細やかとは思えん。
 とはいえ、俺は大抵の女の子は好きだ、ありがたいことに。
 つまり、こんな身の上で男の方が好みということになれば目も当てられないわけだから。
 俺が好きなタイプは……そうだな、店の従業員を人とも思わないような態度はとらず、過剰な演技もせず、さしすせそを変な発音で言ったりせず……ひとりで公園や映画館やときには定食屋に行ったり、笑うと目がかまぼこ型になったり…突然「あのさ、白熊くんにつむじ二つあるの知ってるよ」なんて言うんだ…それから特別手先が器用というんじゃないが、気が向いたらちょっとしたものを短時間で作ったりして…それが例えば肌触りのいいコットン製の俺専用ポーチだったとしても少しも驚かぬ……いやいや、こっちの想像ははじめたらきりがないんだ、実を言うと。
 しかしまあ、有り体に言って、俺専用のポーチにくるまれて休めるなら命とひきかえてもいいと思っている。
 俺の究極の幸せはそこだな。

20101103

 新入りが来た。
 いやはや、こいつはまたちょっとした見物だねえ。
 上野公園辺りでよく見かける簡易家屋の素材と比べても少しの遜色もないほどパリパリした薄い革製ライダースジャケットに、ブラックジーンズをまとって、というよりもむしろ細い足に巻き付けて、と言った方が正確かもしれん、甲から足首にかけてユニオンジャックが描かれた底の厚さがゆうに10cmはあるロンドンブーツを履いて、肩からギターとおぼしきものを背負っている。
 黒々とした髪を背中の真ん中まで伸ばし、前髪をぱっつりと眉の上でそろえているさまは、さながらトロイの兵士の兜のようと言いたいところだが、せいぜいが木目込み人形どまりなのは、こけしも一本足で逃げて行きそうな細い目のせいか。
 髪ほど大切なものはこの世にないと思っているのだろう、その重みを楽しむようにやたらとゆらしながら歩くのだが(きっと地獄の血の池の周りを歩くときでも髪をゆすっているんだろう、ごくろうなこった)、ともすると棚から商品をたたき落としそうだ。
 ああいう奴らの困ったところは、人から自分がどう見えるかをやたらと気にするくせに、肝心のところが抜けている点で、つまりバンド練習の帰りにいかにもそれとわかる格好で大人のオモチャ屋に来る自らの滑稽さに気がついていないわけだが、まあ、たぶん血液の大部分が髪の育成に使われているんだろう、その点で同情はできる。
 無造作な態度を装いながら、辺りを睥睨しつつ歩き始めたが、その度に聞こえるブーツのポックンポックンという間抜けな音は、B-3をしてテレビ画面から目を離して音のありかを探ろうとさせるに足るほどだった。
 そのとき、ふとポックンポックン音が止まった。
 見ると、女性の感度を高めるとのふれこみのメントール配合のクリームを手にとってラベルの説明に読みふけっている。
 まるでそこに、ヘビー・メタルの神様、さしずめオジー・オズボーンのありがたいご託宣(「オジーおじさんのメタルミニミニ☆memo:生きたコウモリの首をかじると、唾液から狂犬病に感染する恐れがある。万一口にした場合は予防注射を受けるのが鉄則だ」)がシリアルの箱の裏側さながらに書いてあるのかと思うほど、しきりにこねくりまわしていたが、そのまま手をポケットに入れ、手だけ出してまたぶらぶらと歩き始めた。
やれやれ、髪をいやったらしく振り回すだけにあきたらず、そのうえ万引きとは恐れ入る。
 奴さんは何食わぬ顔でガラス棚の俺の前を通り過ぎて通路を折り返し、雑誌コーナーで止まると、客と客の間からいきなりにゅっと手を伸ばしてアニメ絵のエロ本を手に取った。
 さすがにA4変型サイズはポケットに入らんだろう、と思ったが、これはパラパラとめくる程度で棚に戻す。
 そして、突然自分に見とれている者の存在を確信したのか(もしくは髪を含めた全身が映る鏡でもあると思ったのかわからんが)、ゆっくりと視線を辺りに漂わせると、そのまま堂々とした足取りで入り口に向かい、歌番組を口を開けて観ているB-3の横を通って出ていった。
 テレビに上戸彩が出ていたのがもっけの幸いだったらしい。
 ちなみに、この店の天井には防犯カメラが取り付けてあるが、五歳の子供でも本物だと思わないようなあからさまに安物のプラスティック製ハリボテで、量販店でB-3本人が買ってきたものだ。 
 版権に抵触しないよう、ステッカーには「SOMY」と書かれているのがせめてもの良心の証、といった代物だが、奴さんの安心になっているのなら、それはそれでいいのかもしれん。
 例え本物のカメラをつけたとてB-3が録画テープを見るわけもなく、そもそも店に飾ってあるだけでいつのまにやら減価償却されているような商品ばかりなんだから。
 それにしてもさっきのクリームはあれで六千八百円もするんだのに、儲かるどころか開けるだけで損する店なんかほかに知らん。
 我が友ながら、あきれるよ、正味の話。
 
 おっと、今店の前を横切った小豆色は『朝日堂』の名物徘徊じいさんか。
 間違いないだろう、あんな色、じいさんのジャージを抜かせばおいそれとは見かけない。
 奴さんがディズニー映画に出てくる小鳥みたいな奔放さでそよ風に誘われたぐらいにして出かけるたびに、お嫁さんが方々を探し歩いたもんだが、当人不在の家族会議の結果、お守りと称してGPS発信器「うちのおじいちゃん知りませんか」を身につけるようになった今では、表向き自由を取り戻している。
 じいさんの趣味は、散歩の途中で突拍子もない節回しの鉄道唱歌を放歌したり、他家の庭の樹になっている実をもいでその場で食したりと多岐にわたっているが、道に落ちているものはカササギみたいになんでも拾って溜め込むのもそのひとつだ。
 あるとき、この店から出ていった男がズボンのポケットから落としたレシートを、地面に触れる前に素早くキャッチして立ち去った瞬間をたまたま目撃したことがあるが、その身のこなしときたら黒潮を回遊する産卵前のサンマもかくやと思われるほど。
 それ以来俺は、じいさんはボケてるフリをしているだけではないかと密かににらんでいるが、だとしたら目的が何なのかは常人には到底計りかねる。

20101101

 薄暗い店内に入ると、主に清浄という観点から変な迫力があったり、幼女のヌード写真を食い入るように見つめる人生の手本になりようがない大人のたむろする荒涼とした雰囲気に、さしものガキも静かになる。
 子連れの来店に気まずい表情で帰ろうとする客もいたが、父親はひるんだそぶりなど微塵も見せず、
「どうぞどうぞ、そのまま、そのまま。邪魔だてする気はないんですよ」
などと制する手腕を見せるほど。
 奴を単なる厚顔な男だとか、エゴイストだと決めつけるのは早計だ。
 それは、いわば運動会で手ブレ防止機能付きビデオカメラを構えてトラックのコーナーに待機し、遠方から駆けてくる息子がまさに目の前を横切らんとしたちょうどその瞬間に誰かに立ちふさがれた場合に、父親としてとるべき態度と同じと言えば、理解の助けになろうか。
 我が息子のかけがえのない瞬間とあらば、父親たるもの、たとえ邪魔者が棺桶に片足を突っ込んだばあさんだったとしても本能的な判断でもって満身の力を込めて押しやるのは自明の理だ。
 そこには、万難を排して目的を遂行するものの超然とした態度と、世のモラルと親としての矜持を秤にかけ、迷うことなく後者を選択する者特有の誠実さが放つ輝きがある。
 このときもそういった崇高なまでの心意気が見てとれ、俺などは、ちょっとの間、目を細めないと直視できないくらいのもんだった。
 親子はちょっぴり進歩的な父兄同伴遠足さながら店内をほっつき歩いていたが、父親が何か見つけたらしい。
 ガラスの棚を指差しながら
  「お、コウタ、これどうだ。「天まで昇れ」だって。中に入っているパールがかっこいいな。それとも、おまえが好きそうなのはこっちか、「ぷるぷる戦隊指レンジャー」。スケルトンだぞう」
 と、気をそそるように話しかけ始めた。
 が、残念ながら子供からの反応はない。
 「どうした、コウタはこういうの嫌いか」
 腰を屈め、息子の目を覗き込む父親の表情は、「ぷるぷる戦隊指レンジャー」が好みかどうか知りたいという、単純な好奇心を越えるものではないようだ。
 息子はといえば、父親がふざけているのか真面目なのか読み切れないまま、ふてくされたように下を向き、左足に体重をかけ、右足をぶらぶらと前後に振り回している。
 体のバランスをとるため商品棚に掴まっている左手は、きちんと触ると得体の知れない菌に感染するとでもいうように、子供なりの潔癖さを発揮して指の先1センチほどで用を足していた。
 その様子を見守っていた父親は、
「うん、そうなんだ。実はこれ、女の人用なんだな」
 と、あっさり話題を変えた。
「男用はこっちだ。ほら、これスイッチを入れると動くぞ、コウタ、自分で押してみるか」
 見ると、隣にある「バーチャルロボ DX 烈」を指差している。
 紫色のスケルトンの筒に透明なボールをつないだリングが2本巻き付いた、見るからに淫靡な意欲作だ。
  「………くない」
 子供は蚊の鳴くような声でつぶやくと、この予想外の危機を振り切るように思い切り首を左右に振り始めたが、ノーの意思表示というよりは突如発症したチックか何かともとれる。
「え? 何?」
「……押したくない」
「押したくない? 何で? 面白いぞ、これ。コウタ、ラジコン好きだろ?」
「……もう帰ろうよ」
 今にも泣きそうな声でつぶやくが、父親はてんで容赦しない。
「帰る? なんで。まだプレゼント決めてないだろ。あ、そうか、コウタは本が好きだもんな、本のコーナー行こう」
 しぶる息子の後ろから肩に手を置き半ば汽車ポッポ風に、光化学スモッグと見まごうほどに気の淀んだ片隅目指して押しやる。
「はい、着きました〜、本のコーナー。コウタは金髪好きか? アジア人派か?」
 子供はあられもない写真の数々に顔を真っ赤にしてうつむくばかり。
「どうした、コウタ。さっきから元気がないぞ」
 心配そうに声をかけるが、もじもじとはっきりしない息子の様子に、この辺りで父親は大人の恐さを見せてやろうという御しがたい欲求におそわれたらしい。
 だしぬけに胴間声になると、
「おい、いい加減にしろ。お前が行きたいって言うから連れてきたのに、さっきからなんだ、その態度は。いくら父さんだってカンニン袋の緒が切れるぞ。本当は俺だってお前となんか来たかないや。一人で来たいんだよ。嘉手納れおんがどんなに愛らしいかも知らん、しょんべんくさいガキに何がわかる。え? れおんタンの胸から腰にかけての張りつめた稜線がお前にわかりますかって言ってんの。わからんだろうが。だったらボソボソ言わないで、どれかお前の足りない脳ミソなりにいいと思ったものを選んで、ありがたくもらっとけ。お前みたいななあ、「大人のおもちゃ」を大人の前で口にして、してやったりなんて思うガキはたとえ実の息子でも虫酸が走るんだよ、俺は!」
 と、手心が毛ほども加わらないむき出しのアドレナリンをぶつけたわけだが、ここまで言えば、子供にも事態の深刻さが伝わったらしい。
 とにもかくにも何かを選ばなければ脱出する道はないと察知し、涙で目をくもらせながらもうろん気な視線をマガジンラックにさまよわせ始めた。
 その姿を見た父親は、一転して明るい表情に戻り、
「上の方が見えないんじゃないか、パパがだっこしてやろう」
 と子供を抱え上げ、上段に並んだ雑誌の表紙を見せてやっている。
 ややあって、息子は鼻水をすすりながら、自分と同い年くらいの全裸のフィリピン人少女が木漏れ日の下でエマニュエル夫人ばりの籐椅子に片足だけ立てて斜めに座る表紙を指した。
「これか、ようし、わかった。あれ、微妙にパンダ組の優理絵ちゃんに似てないか? ははは」
 父親は胴間声からボリュームを修正しないままの大声で笑うと、雑誌をつかんで意気揚々とレジに向かって行ったが、後ろを歩く息子は全身汗みずくで、プールの帰りか何かに見えたっけ。
 あれはわが生涯で目にした最高の美談のひとつという気がしたな。
 気がしただけかもしれんが。
 あ、お帰りですか、お疲れ。
 村山が夕飯食いに一旦家に帰って行った。
 奴さんにパワーが残っていればまた店に戻って来て、二十四時五十三分から始まる「ハロプロメンバーが皆さんの心をドキドキさせる彼女達の魅力がいっぱい」のテレビ番組『娘DOKYU!』の開始前まで居座ることになるだろう。