20031005

飛びすさぶように月日が経っていく。
この分では、今年もすぐに終わるだろう。
今年は、本当にいろいろなことのあった一年だった。
いや、まだあと2か月の間に二つ三つは充分起こるだろう、このペースでいけば。
具体的には書かないが、大きなことだけで五つあった。
中くらいのことで二つ。
大きなことのうち三つによって、わたしは今までの生活や行動範囲やものの見方を以前のそれらから、ほぼ完全に切り離された。
自分の過去(スキル、常識)の、脳内メモリを一旦他に移して、いや移す間もなく消去して、新しい書類を短期間に詰め込んだ。
今の生活をまた変えるとしても、元に戻るためには(完全には無理だろうが)ノートン様か何かを使ってファイルを救出するしかないだろう。
例え救出されても、半分は壊れているかもしれない。
だけど、不思議と悲壮感はない。
むしろ、自分の順応性にひとつの自信さえできたかもしれない。
ただ、新しい視点を得たことで(それを血肉にしたとは思わない。何も血肉にしないのがわたしだ)見えてくるものが、自分、他人を含めてとても多くあった。
そして、それらをやっと自分なりに分類し分析する余裕がでてきたように思う。
今年のような転換点は、十年に一度か二十年に一度かわからないけれど(少なくとも現在転換点にいると自覚しながら過ごすのは生まれて初めてだった)生きていくうえで必要不可欠なものなのだろうし、あとで思い返せば楽しくさえあるかもしれないと思う。
今現在のことで言えば、モンゴメリの自伝的小説、エミリーシリーズの『エミリーはのぼる』のこの一節

空中の声の導くままに
従っていくことを恐れる者には
不滅の冠は与えられない


の心境だ。
わたしはエミリーほど強じんな人間ではないけれど、空中の声にしたがって、または従う勇気がなくうろうろとその周りを歩くだけだとしても、進退窮まって従う気になるまで、せいぜい疲れるまで歩きまわろうと思う。
そして、相変わらず人の言動に一喜一憂しながらも、それはそれとして前に進むしかない。
例えケーチョーフハクだのコウガンムチだのシンショウボウダイだの思われたって、かまやしないのだ。
本当にわたしに石を投げる資格のある人など、どこにもいないのだから。