20030611

その昔、男と女の思考の違い、みたいな話にはいちいちムキーッと反論していたわたしなのだが、そのうちなんとも思わなくなり、さらには「やっぱりあるよ、男性脳と女性脳」みたくなってきたのはなんだかんだ言って年のせいなのだろうか。
今まで反発してきた理由は、大抵「女は感情的、男は論理的」のようなかなり大ざっぱな括りに対してで、感情的→バカ、論理的→知的、と半ば自虐的に理解していたことと、その括りが多分恐ろしいほど自分に当てはまっていたからだと思われる。
地図が読めないとか、方向音痴とか、とりあえず話を聞いてほしがるとか、話が飛ぶとか、話のオチを忘れるとか、世に言う女の性格(しかもネガティブ寄り)が何のひねりもなくそのまんま自分だったことに気が付いていたからと言うわけだ。
ただ、敢えて大仰に日本の近代史的見地から言えば、母方が女系家族だったり、うちが核家族で(母、父、わたし)女がマジョリティだったり、且つ父が寡黙でほぼ母が家を仕切っていたこと、その母は1965年に20歳というフェミニズム旋風吹き荒れる時代に青春をおくっていたことなどが相まって、なんだろ、とりあえず男は重い荷物持って家に入ってきた昆虫殺してろ、的な側面があったわけだ。
でも、母の場合は本気で活動していたわけではないので、フェミニズムの後の世代、つまり突然女が暴れだしてド肝抜かれた男性陣がとりあえず言うこと聞くようになっちゃったから、何気にご都合主義的要求を通し始めた逆男女差別な感じも多分にあったわけなのだが。
で、そんな空気をほぼ当たり前に感じて世の中に出てみると、とっくに終わってるはずの正統派男女差別が残ってたりすることにショーゲキを受け(といっても大企業に所属したこともないから、大したレベルではないのだろうが)、そんなときに「女は感情的、男は論理的」を裏付けるような会話(女だから、女なのに、結婚、恋人、独身といったキーワードが含まれる男の会話及び猥雑な噂話)がなされると、とりあえずまだそんな嫌みを言われる前の年齢(ま、20歳そこそこですな)という立場を大いに利用して、真っ向から反論を唱えていたのだ。

若かったな。

そのうちなんとも思わなくなったのは、そんな陰口を言われる側になったためか(陰口は面と向かっては言わないから)、単に慣れなのか。
揚げ句に「男性脳と女性脳の違い」を積極的に認めるようになったのは、そのテの本のブームもあるだろうが(ってちゃんと読んだことはないけれど、立ち読み程度で)、異性とのぶつかりのほとんどがそこに起因することに思い当たったからかも知れない。
例えば昨今、乙女とかガーリィとかのブームなり考え方があって、思想としては女の自己肯定だと思うのだが、そこに素直に飛び込めなたらこんな駄文を書いてお目汚しをしないで済むのに、と思う。
地図が読めないとか、方向音痴とか、とりあえず話を聞いてほしがるとか、話が飛ぶとか、話のオチを忘れるとかの何がいけないわけ?……ってそれ開き直りじゃん、やっぱダメは認めていこうよ、というか。
「女の子はかわいい!」「女の子は残酷!それがかわいい!」「VIVA! GIRLS POWER!」(すいません、敢えてバカっぽく書きました。でもわたしの脳内ではそんな変換だったりもします)。
でも、なんで「女の子」だけが全ての中傷から逃れられる聖域にいるわけよ?
ま、結局はそれを商売にしだした流れがイラだたせるのでしょうが。
ところで、わたしの文章には異様に「世の中」という表現が多いことにお気づきだろうか。
この漠とした表現は、まさしくわたしの認識にぴったりくるのだが、それくらい自分と自分の心理的半径数メートルしか把握できていなくて、それ以外にうっすら感じる外圧をこう称しております。

えー……と結論。
やっぱりあるよ、男性脳と女性脳。
この文章がいい証拠、ははは。